やるやる詐欺をやめたい

2021年の最初の一月が一瞬で過ぎ去り、2月頭。

いよいよ一度手放した経済力を取り戻さないと本当にやばいと反省し、重い腰を上げて動き始めた。正確には1年前くらいからいくつかの方法に手を出してはいたのだが、胸を張って「経済力があります」などとはとても言えない成果しかなかった。「やってはいるが、成果は出ない」というのは、結果的には「やるやる詐欺」でしかない。やるやる詐欺はもうやめたい。

 

あまりにも腰が重すぎた。元々クズのような人間と自覚はしていたが、実態はそれ以上だった。ラクな方に流れて罪悪感もろくに抱かず、言い訳ばかりで自分を正当化して。人間は堕落を始めるとどこまでも堕落するものだと思い知った。ここ3年ほどの私は「虚無」としか言い表せない体たらくだ……。経済力がない=悪、とか、人間的に劣っている、とかではない。あくまで私個人の、「配偶者に寄りかかって負担を押し付けていると分かっていながら、あまつさえ相手が調子を崩してまでいると分かっていながら、劇的な行動を起こさない」という、未熟で自分勝手で思いやりが欠如していて擁護しようのないクズ中のクズな姿勢が最悪だという話である。

 

少し前の私なら「もう今更取り返しがつかない」と全てを諦めていただろうか。

全然精神的には元気ではないのだが、小さな一歩でも踏み出したのは大きいはず……このままの状態でズルズル生き続けるのと、ここからまた息を吹き返すのとではきっと違う未来になるはず……と自分を認めてあやして宥めすかして(こんなことを言っている時点でやっぱり自分に甘いクズだ……)何とか働き方を思い出したい。

常識と惰性

 普通、とは一体何だろう。
 普通になりたくて、普通になれなくて、普通のふりをして私たちは苦しんでいる。
 
 簡単に状況を整理する。私は数年前、社畜生活と機能不全家族に疲れ果て、逃げるように会社と故郷を捨てた。不運にもこんな私と長年交際してきてしまった相手は、驚くことに私を捨てずに夫になってくれた。彼は彼でやや複雑な生育背景を持っており、そんなこともあって結婚に際しては書類を提出するのみでセレモニー的なものも一切行わなかった。
 彼は私なんぞにはもったいない善良な人間で、人生を損なわせてしまったことに日々申し訳なさを募らせている。と思いながらも厚意に甘え続けているのだから説得力はない。彼が「普通でありたい」と心の調子を崩しかけている今も、どうしたらいいか分からない。
 
 よくある話だ。キャリアアップの転職をして、不安になったり自信をなくしたりする。今年はたまたま時期が悪かった。転職から日が浅く職場に馴染めないうちにコロナでリモートワークになってしまった。その辺がわりと厳しい──正常とも言える──会社ゆえ、もう元通りにはならないようだ。休まず仕事をすることはできるが心身がつらい、微妙な状態だったが説得して心療内科にも行った。投薬治療で様子をみることになった。
 彼は「普通のレールから外れたくない」と泣いた。「普通に働いている普通の社会人」でありたい、と。配偶者の状況は関係ない、自分が「普通」を手放せないだけだ。そう言って彼は否定をするが、「普通ではなくなってしまった」私との結婚は重荷になっているに違いない。事実、こんな状況なのに私は定職に就けない。
 心療内科の受診を説得するのにも骨が折れた。会社に知られるんじゃないかとか、ローンを組めなくなるんじゃないかとか、しばらく保険に入れなくなるとか、まあ色々ある。心配事を一つ一つ調べて納得してもらえたが、「二人ともそうなってしまうのはキツい」と本音が漏れたのを聞いた時は私もさらに落ち込んだ。
 
 普通、とは一体何だろう。
 この社会では少しその「普通」から外れると信じられないほど生きにくい。私もたまたま異性のパートナーがいて結婚制度が使えていなかったら今頃空の上だ。結婚制度をはじめ、どうにかならんのかと思うシステムばかり。自分のできる範囲で少しでも社会を変えようとしている、なんて言ってみても、何もしていないのと同じようなものだ。
 普通、本当に何なのだろう。
 私は毎日、「普通に働く者のみが社会人だ」「普通は家族を大事にして親を敬うものだ」「普通は結婚したら子供を産むものだ」と社会から糾弾されている。そう思わされている。つまり「私は異常だ」と思わされている。物心ついた頃から薄っすら希死念慮を抱いてきたものだから、余計にどうにも元気が出ない。頑張るしかないのにな。どうしたものかと悩んでみても、仕方ないから生きるしかないのにな。こんなどうしようもない人間を今も追い出さない上に「あなたがいなかったら今頃死んでいた」なんて言ってくれる人のために頑張るしかないのにな。ままならない。二人とも、世間の押し付ける普通はおかしいと理解はしている。それでもなお「そこから外れたら生きていくのが難しくなる」と考えざるを得ない現実があることも、私たちは分かっている。
 
 それなりに楽しいことはあり、笑ったりしながら過ごしているものの、日常にぼんやりと薄暗いベールが掛かっているような感じ。それでもやっぱり、仕方ないから生きるしかないのだ。